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  • 2024.02.26

STOP MAKING SENSE(心理療法と物語8) - 副院長より27

こんにちは。副院長の森豊和です。
最近見聞きしたものを中心に、精神科に関わる話をつれづれにまとめています。今回から、2人の精神科医の会話という設定で、明確にフィクションにしています。2人は私の分身ではありますが、登場人物の意見ではなく、創作全体を通して私の意見を説明しており、基本的にフィクションですが、後半の「バッチ事件」は、本当に私が体験したことになります。



英国ブライトン在住の保育士ライター、ブレイディみかこはエッセイにこう書いている。彼女の住む公営住宅は、だだっぴろい庭がついていて、大小さまざまな動物が棲みついている。人間も動物も共生する。

「まるでジャングルみたいで、キツネまで棲みついて困っていた。あるとき、隣家の女性が鬱で具合が悪くて、「世界はクソだ」、「もう死にたい」ってつぶやきだしたそうです。その女性がきまぐれで餌を与え始めたら、キツネの親子は隣家にお引越ししていったとか。」

精神科医局の雑然と本が積み重なったデスクで、西山大介は話す。最近読んだ話だ。少し離れたデスクでコーヒーを飲んでいた遠藤凪は、それで女性の鬱が少しでも改善したら万々歳じゃないですか、と付け足す。

「なぎ先生、そう。まあ、よくなったかどうかは書かれてないけど、きっとよくなったんでしょうね。」

「何がどう転んで、どうなるか、なんてわからないんでしょうね。ブレイディさんのブログ、私も読んでましたけど、キリストが十字架に架けられた理由は、ノーフューチャーだって。ジョン・ライドンもキリストも、世の中理不尽なことばかりだって伝えてるんだって。元も子もないですよね。それが福音だなんて。」


遠藤凪は西山より10歳近く下の27歳の女性で、精神科の知識より、兄の影響で詳しいロックの知識のほうがよほど深いと自分でも思っている。

ノーフューチャーでなぜ感動するかはAIではわからない。 甲本ヒロトがそう言ってたけど、ノーフューチャーが福音、つまりグッドニュースだから、そりゃ感動するんでしょう。」

一息ついて西山大介は続ける。

「近い話を思い出したんですが、隆慶一郎の『一無庵風流記』という時代小説は知らないですよね? 『北斗の拳』と同じ作者が漫画も描いていて。」

「『北斗の拳』は知ってます。フライング・ロータスやサンダー・キャットがよく語っていました。」

「海外のビート・ミュージックから日本の漫画を知るなんて。『一無庵風流記』の主人公、慶次郎は、傾奇者、つまりアウトローな武将で、人間でも動物でもあらゆるものと心を通わせてしまう。時の権力者、豊臣秀吉と意地比べで勝って褒められたり、冷酷無比の暗殺者の心を開いて、本心を語らせてしまうんです。なぜ人殺しをするのかについて。
 その暗殺者は、親がなく天涯孤独で虐げられて育ってきた。死ぬときは身分の上下も関係なく、死だけは万人に平等だから気分がいい。だから俺は人を殺すのかもしれないって、知らないうちに語ってしまう。慶次郎はつらそうな顔で、黙って聴いているのですが、最後に一言、「瘦せすぎだ、お主」って告げる。

「それは相手を気遣っているんですよね。立場や身分の差なんて関係なく、俺もお前も一緒。それを、たった一言で説明してますね。」

「たぶん、そうです。だから暗殺者は子どもの頃ぶりに、むしょうに泣きたくなる。」

「その暗殺者にとって慶次郎の言葉は福音だったんだ。キリストも武将も庶民も死ねばみんな同じ。」

「マイノリティーとされる人々にとって、自分と同じ目線で接してくれる人ほど貴重な存在はないから。



話はけっこう変わりますが、青木理『安倍三代』というルポルタージュを読みました。三洋堂の古本コーナーに100円で落ちていて。言わなくてもわかると思うけど、安倍晋三元首相の父、祖父までの関係者を丹念に取材した本なんですが。」

「図書館と古書特価コーナー、本当にお好きですね(笑)。安倍総理の家系って、日米安保で有名な岸信介首相以外に目立った話があるんですか」

「岸信介は母方の祖父ですね。父方の祖父、つまり初代の安倍寛は反骨の政治家だったそうです。反戦、反権力。戦時中に特高警察に睨まれながら、常に庶民目線で働いた。二代目の晋太郎は、戦時中に特攻隊で危うく命を無くすところだったうえに、早くして両親を亡くし、非常に孤独だった。だから弱者にも好かれたと書かれています。」

「なんだか意外です。」

「著者の伝えたかったこととは違うでしょうが、僕が印象に残ったことを話しますね。晋太郎が素晴らしい政治家だったのは分かったけど、あえて言えば、彼は家庭において失敗をしたように思います。政治に全精力を注ぎすぎて息子の世話があまりできなかった。」

「といいますと。」

「政治家だけでなくて、学校の先生や、僕ら精神科医の子どもに生まれると、子どもは損なんです。つい、我々がしてしまう失敗は、責任ある仕事をしていることを盾にして、子どもとの触れ合いを疎かにしてしまうことです。中井久夫がよく書いていた気がします。」

「でも、先生はよく息子さんと遊んでるんじゃないですか。」

「そうかもしれないけど、足りないとも思います。晋太郎さんは、自分が父子家庭で育って、中学生の頃、母を探しにたった独りで新宿に出かけたことさえあったのに、選挙運動にかかりっきりで、息子と遊ぶ機会がほとんど無かったといいます。安倍元首相の回想を信じれば、ですが。でも、なかなか難しかったのかもしれないし、よく知らない僕があんまりいえないけど。」

「西山先生、よくおっしゃいますよね。歴史って、意外と、個人のちょっとした行為で大きく変わるんだって」

「ええ、例えば、手塚治虫がいなかったら、日本の漫画はどうなったのか。果たして世界に誇るものになっていたのだろうか。手塚先生は、僕はドストエフスキーと同じテーマを繰り返している、みたいなことを書いているけど。『鉄腕アトム』とか、『どろろ』、とか、とにかく父親との確執がテーマの作品が多い気がします。」

「エディプス・コンプレックスですよね。そう考えると普遍的なテーマな気もします」
「『スター・ウォーズ』もその神話的テーマです。ていうか、立派な医者や政治家になんかならなくたっていいと思う。ただ、こどもの鬼ごっこやボール遊び、こどもの行きたい動物園やコンサートにつれてってあげるほうが大切。でも、それを忘れちゃう。」





「そうだ、映画やコンサートと言えば、先日『Stop Making Sense』観てきました。『American Utopia』と比べてデヴィッド・バーン若いなあって。」

話題を変えたかったのか、遠藤凪は目を輝かせて話した。主に80年代にニューヨークで活躍した、今なお絶大な影響力を誇る、デヴィッド・バーンが率いたロック・バンドTalking Headsのコンサート映画。


「『Stop Making Sense』は1983年ですからね。35年の隔たりがある。僕も観ましたけど、とにかく今聴いてもかっこいい。4Kレストア版を劇場で観たら、ちょうど実物大くらいにメンバーが映るシーンが、本人達が目の前にいるみたいでびっくりしました。音が良いから本当にその場で演奏してるようでしたね。」

「ステージにPAやアンプがないってのも面白いです。さらに進んで『American Utopia』は完全にミュージカル仕立てですけど。」

「誰だったか、音楽番組が当て振りで、本当に演奏させてくれないのに抗議して、ステージで手をぶらりとさせて、演奏するふりを拒絶したパンク・バンドがいたけど、その逆ですね。真剣に演奏しているけど、ラインがつながっていない(笑)」

「デヴィッド・バーン/Talking Headsの思想と音楽性のつながりについて色々考えたり調べたりしました。デヴィッド・バーンは世界の様々な地域の音楽を参照していますよね。黒人、マイノリティー、先住民族といった。」

「ポール・サイモン(サイモン&ガーファンクル)もですが、白人による文化搾取と揶揄されることもあったみたいですね。」

「だから『Stop Making Sense』のパフォーマンスは。あえて無様な白人を演じることによって、その価値観を逆転させようとした。さらに、その試みの延長として、様々な文化が共存繁栄する『American Utopia』の世界観があるっていうのを読んで、腑に落ちました。」

「すごく簡潔にまとまりましたね。昔、小沢健二が雑誌『MONKEY』に寄稿したエッセイで、白人による第三世界への侵略から文化が発展したし、西洋の楽器や音楽理論も、元々は戦争由来のもので、最終的に文明が神を殺した、みたいなことを書いていて、非常に興味深かったです。この話はデヴィッド・バーンの話と表裏一体ですね。」

「あと、NPR(アメリカの公共放送)のインタビューで、友人から貴方は自閉スペクトラム症じゃないかと指摘されたと語っているのも興味深いです。デヴィド・バーンは診断は受けず、そのままでも自分は不幸ではないって認識してるのが、いいですね。音楽活動で、彼は少しずつ変わっていった。というか、音楽が彼と人間社会を結びつけたみたいです。」

「人との関りと言えば、なぎ先生、名古屋の109シネマズに行きましたよね。終演後にStop Making Sense 2023とデザインされた缶バッチを配っていた方、会いました?」



「あ!私も貰いました。最初、劇場の人かな?と思ったけど、それなら入場時に配るだろうし、ひょっとしてTalking Headsの熱烈なファンの方?と思ったり」

「どっちなんでしょうね。DJイベントのちらしを配るとかならわかるんだけど。いや、かっこいいバッチだから嬉しいし、そういえばインターネットも何もない時代は、人が集まる会場で手渡しで情報のやり取りをしていたんですしね。そうやってアンダーグラウンドの文化が広まっていった。」

「ピストルズのマンチェスター公演はお客が40人くらいしかいなかったけど、のちに重要なロックバンドを結成するメンバーがたくさんいたって話を思い出しました。」

「缶バッチの件、インターネットで検索しても何も出てこなかったし、その方に話を聞いてみたいよね。もう一度ちゃんとありがとうって言いたいし。」

「映画良かった!って言い合いたいですよね」

「いつか、未来のその時のために配ってらっしゃったのかもしれない。芸術も政治も戦争も、現場での1対1の触れ合いから重要なことが起きています。例えば、安倍寛が現場で奮闘したことは、その瞬間には、あるいは無駄になったかもしれない。でも、それがさらに幾世代も経て、どこかで戦争を止める力、その遠い原因になるかもしれないんです。」

「伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』や、彼が参照したという島田荘司の歴史ミステリー『最後のディナー』を思い出しました。」

「今、何一つ変わらないと思っても、選挙は行くべきだし、今は無駄だと思っても、患者さんに関わるひとつひとつのことを大切にするべきだと思うんです。島田荘司と言えば『御手洗潔の挨拶』所収の『数字錠』事件は、精神療法の見本の一つだと思いました。恩人を馬鹿にされた怒りから、殺人を犯してしまった犯人の不幸な境遇に、御手洗潔は徹底的に寄り添っています。」

「あの話は読んでいて涙が出てきました。犯人の人格を尊重して、彼の自由意志で犯行を告白できるようにしてますね。誘導尋問で嵌めるのではなくて。」

「うまく誘導して、部下や患者に言うことを聞かせるほうが仕事も楽。そういう関わり方をする医師や看護師もいます。そこまでではなくても、自分は人との関わりにおいて、相手の人格を軽んじるような真似をしていないか、絶えず考えたいです。」


遠藤凪はわずかに考えるそぶりをして、視線を落として返した。

「でも先生。マイケル・ジャクソンの裁判の例みたいに、優しくすべきでない人もいますよ。西寺郷太さんが著書で書いていたこと、私はずっと心に残っているんです。マイケルは優しくすべきでない人にまで優しすぎた、って。先生の好きなプリンスもワム!のジョージ・マイケルも皆、虐げられる人のことを考えすぎて、自分自身を苦しめ亡くなった『幸福な王子』たちだと思います。決して幸福ではない少年期や私生活があって、子どもたちやマイノリティーへの慈善活動を行って、そのことが死後に明らかになったりする点で、3人のスーパー・スターたちは共通しています。彼らは圧倒的な才能があって、歌も踊りも作曲もプロデュースも1人でできるから、あまり人に頼らなかった。マドンナみたいに、多少ずるくても、独力ではなく人と協力して、より優れた成果を積んでいくほうがよかったのかもしれません。」

「そうですね。4人のスーパー・スターの中で、マドンナが総合的な才能はたぶん劣るけど、結果的に長生きしていますからね・・・。本人の意図とは違うでしょうが、Stop Making Sense,  意味づけをするな。つまり大義名分や、自分なりの正義を抱きすぎるのも問題になるのかもしれません。デヴィッド・バーンは正義について考えに考えた末に、そんなことはナンセンスだ!と言っているんでしょうし。
 素晴らしいことを書いている作家が、しばしば、実生活では差別的な発言をしてしまったり、サローヤンみたいに子どもと不仲で悩んでいたりしますから。そして、ときに、その後悔が、素晴らしい作品に結実しているのかもしれませんが。」
こんにちは。副院長の森豊和です。
最近見聞きしたものを中心に、精神科に関わる話をつれづれにまとめています。今回から、2人の精神科医の会話という設定で、明確にフィクションにしています。2人は私の分身ではありますが、登場人物の意見ではなく、創作全体を通して私の意見を説明しており、基本的にフィクションですが、後半の「バッチ事件」は、本当に私が体験したことになります。



英国ブライトン在住の保育士ライター、ブレイディみかこはエッセイにこう書いている。彼女の住む公営住宅は、だだっぴろい庭がついていて、大小さまざまな動物が棲みついている。人間も動物も共生する。

「まるでジャングルみたいで、キツネまで棲みついて困っていた。あるとき、隣家の女性が鬱で具合が悪くて、「世界はクソだ」、「もう死にたい」ってつぶやきだしたそうです。その女性がきまぐれで餌を与え始めたら、キツネの親子は隣家にお引越ししていったとか。」

精神科医局の雑然と本が積み重なったデスクで、西山大介は話す。最近読んだ話だ。少し離れたデスクでコーヒーを飲んでいた遠藤凪は、それで女性の鬱が少しでも改善したら万々歳じゃないですか、と付け足す。

「なぎ先生、そう。まあ、よくなったかどうかは書かれてないけど、きっとよくなったんでしょうね。」

「何がどう転んで、どうなるか、なんてわからないんでしょうね。ブレイディさんのブログ、私も読んでましたけど、キリストが十字架に架けられた理由は、ノーフューチャーだって。ジョン・ライドンもキリストも、世の中理不尽なことばかりだって伝えてるんだって。元も子もないですよね。それが福音だなんて。」


遠藤凪は西山より10歳近く下の27歳の女性で、精神科の知識より、兄の影響で詳しいロックの知識のほうがよほど深いと自分でも思っている。

ノーフューチャーでなぜ感動するかはAIではわからない。 甲本ヒロトがそう言ってたけど、ノーフューチャーが福音、つまりグッドニュースだから、そりゃ感動するんでしょう。」

一息ついて西山大介は続ける。

「近い話を思い出したんですが、隆慶一郎の『一無庵風流記』という時代小説は知らないですよね? 『北斗の拳』と同じ作者が漫画も描いていて。」

「『北斗の拳』は知ってます。フライング・ロータスやサンダー・キャットがよく語っていました。」

「海外のビート・ミュージックから日本の漫画を知るなんて。『一無庵風流記』の主人公、慶次郎は、傾奇者、つまりアウトローな武将で、人間でも動物でもあらゆるものと心を通わせてしまう。時の権力者、豊臣秀吉と意地比べで勝って褒められたり、冷酷無比の暗殺者の心を開いて、本心を語らせてしまうんです。なぜ人殺しをするのかについて。
 その暗殺者は、親がなく天涯孤独で虐げられて育ってきた。死ぬときは身分の上下も関係なく、死だけは万人に平等だから気分がいい。だから俺は人を殺すのかもしれないって、知らないうちに語ってしまう。慶次郎はつらそうな顔で、黙って聴いているのですが、最後に一言、「瘦せすぎだ、お主」って告げる。

「それは相手を気遣っているんですよね。立場や身分の差なんて関係なく、俺もお前も一緒。それを、たった一言で説明してますね。」

「たぶん、そうです。だから暗殺者は子どもの頃ぶりに、むしょうに泣きたくなる。」

「その暗殺者にとって慶次郎の言葉は福音だったんだ。キリストも武将も庶民も死ねばみんな同じ。」

「マイノリティーとされる人々にとって、自分と同じ目線で接してくれる人ほど貴重な存在はないから。



話はけっこう変わりますが、青木理『安倍三代』というルポルタージュを読みました。三洋堂の古本コーナーに100円で落ちていて。言わなくてもわかると思うけど、安倍晋三元首相の父、祖父までの関係者を丹念に取材した本なんですが。」

「図書館と古書特価コーナー、本当にお好きですね(笑)。安倍総理の家系って、日米安保で有名な岸信介首相以外に目立った話があるんですか」

「岸信介は母方の祖父ですね。父方の祖父、つまり初代の安倍寛は反骨の政治家だったそうです。反戦、反権力。戦時中に特高警察に睨まれながら、常に庶民目線で働いた。二代目の晋太郎は、戦時中に特攻隊で危うく命を無くすところだったうえに、早くして両親を亡くし、非常に孤独だった。だから弱者にも好かれたと書かれています。」

「なんだか意外です。」

「著者の伝えたかったこととは違うでしょうが、僕が印象に残ったことを話しますね。晋太郎が素晴らしい政治家だったのは分かったけど、あえて言えば、彼は家庭において失敗をしたように思います。政治に全精力を注ぎすぎて息子の世話があまりできなかった。」

「といいますと。」

「政治家だけでなくて、学校の先生や、僕ら精神科医の子どもに生まれると、子どもは損なんです。つい、我々がしてしまう失敗は、責任ある仕事をしていることを盾にして、子どもとの触れ合いを疎かにしてしまうことです。中井久夫がよく書いていた気がします。」

「でも、先生はよく息子さんと遊んでるんじゃないですか。」

「そうかもしれないけど、足りないとも思います。晋太郎さんは、自分が父子家庭で育って、中学生の頃、母を探しにたった独りで新宿に出かけたことさえあったのに、選挙運動にかかりっきりで、息子と遊ぶ機会がほとんど無かったといいます。安倍元首相の回想を信じれば、ですが。でも、なかなか難しかったのかもしれないし、よく知らない僕があんまりいえないけど。」

「西山先生、よくおっしゃいますよね。歴史って、意外と、個人のちょっとした行為で大きく変わるんだって」

「ええ、例えば、手塚治虫がいなかったら、日本の漫画はどうなったのか。果たして世界に誇るものになっていたのだろうか。手塚先生は、僕はドストエフスキーと同じテーマを繰り返している、みたいなことを書いているけど。『鉄腕アトム』とか、『どろろ』、とか、とにかく父親との確執がテーマの作品が多い気がします。」

「エディプス・コンプレックスですよね。そう考えると普遍的なテーマな気もします」
「『スター・ウォーズ』もその神話的テーマです。ていうか、立派な医者や政治家になんかならなくたっていいと思う。ただ、こどもの鬼ごっこやボール遊び、こどもの行きたい動物園やコンサートにつれてってあげるほうが大切。でも、それを忘れちゃう。」





「そうだ、映画やコンサートと言えば、先日『Stop Making Sense』観てきました。『American Utopia』と比べてデヴィッド・バーン若いなあって。」

話題を変えたかったのか、遠藤凪は目を輝かせて話した。主に80年代にニューヨークで活躍した、今なお絶大な影響力を誇る、デヴィッド・バーンが率いたロック・バンドTalking Headsのコンサート映画。


「『Stop Making Sense』は1983年ですからね。35年の隔たりがある。僕も観ましたけど、とにかく今聴いてもかっこいい。4Kレストア版を劇場で観たら、ちょうど実物大くらいにメンバーが映るシーンが、本人達が目の前にいるみたいでびっくりしました。音が良いから本当にその場で演奏してるようでしたね。」

「ステージにPAやアンプがないってのも面白いです。さらに進んで『American Utopia』は完全にミュージカル仕立てですけど。」

「誰だったか、音楽番組が当て振りで、本当に演奏させてくれないのに抗議して、ステージで手をぶらりとさせて、演奏するふりを拒絶したパンク・バンドがいたけど、その逆ですね。真剣に演奏しているけど、ラインがつながっていない(笑)」

「デヴィッド・バーン/Talking Headsの思想と音楽性のつながりについて色々考えたり調べたりしました。デヴィッド・バーンは世界の様々な地域の音楽を参照していますよね。黒人、マイノリティー、先住民族といった。」

「ポール・サイモン(サイモン&ガーファンクル)もですが、白人による文化搾取と揶揄されることもあったみたいですね。」

「だから『Stop Making Sense』のパフォーマンスは。あえて無様な白人を演じることによって、その価値観を逆転させようとした。さらに、その試みの延長として、様々な文化が共存繁栄する『American Utopia』の世界観があるっていうのを読んで、腑に落ちました。」

「すごく簡潔にまとまりましたね。昔、小沢健二が雑誌『MONKEY』に寄稿したエッセイで、白人による第三世界への侵略から文化が発展したし、西洋の楽器や音楽理論も、元々は戦争由来のもので、最終的に文明が神を殺した、みたいなことを書いていて、非常に興味深かったです。この話はデヴィッド・バーンの話と表裏一体ですね。」

「あと、NPR(アメリカの公共放送)のインタビューで、友人から貴方は自閉スペクトラム症じゃないかと指摘されたと語っているのも興味深いです。デヴィド・バーンは診断は受けず、そのままでも自分は不幸ではないって認識してるのが、いいですね。音楽活動で、彼は少しずつ変わっていった。というか、音楽が彼と人間社会を結びつけたみたいです。」

「人との関りと言えば、なぎ先生、名古屋の109シネマズに行きましたよね。終演後にStop Making Sense 2023とデザインされた缶バッチを配っていた方、会いました?」



「あ!私も貰いました。最初、劇場の人かな?と思ったけど、それなら入場時に配るだろうし、ひょっとしてTalking Headsの熱烈なファンの方?と思ったり」

「どっちなんでしょうね。DJイベントのちらしを配るとかならわかるんだけど。いや、かっこいいバッチだから嬉しいし、そういえばインターネットも何もない時代は、人が集まる会場で手渡しで情報のやり取りをしていたんですしね。そうやってアンダーグラウンドの文化が広まっていった。」

「ピストルズのマンチェスター公演はお客が40人くらいしかいなかったけど、のちに重要なロックバンドを結成するメンバーがたくさんいたって話を思い出しました。」

「缶バッチの件、インターネットで検索しても何も出てこなかったし、その方に話を聞いてみたいよね。もう一度ちゃんとありがとうって言いたいし。」

「映画良かった!って言い合いたいですよね」

「いつか、未来のその時のために配ってらっしゃったのかもしれない。芸術も政治も戦争も、現場での1対1の触れ合いから重要なことが起きています。例えば、安倍寛が現場で奮闘したことは、その瞬間には、あるいは無駄になったかもしれない。でも、それがさらに幾世代も経て、どこかで戦争を止める力、その遠い原因になるかもしれないんです。」

「伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』や、彼が参照したという島田荘司の歴史ミステリー『最後のディナー』を思い出しました。」

「今、何一つ変わらないと思っても、選挙は行くべきだし、今は無駄だと思っても、患者さんに関わるひとつひとつのことを大切にするべきだと思うんです。島田荘司と言えば『御手洗潔の挨拶』所収の『数字錠』事件は、精神療法の見本の一つだと思いました。恩人を馬鹿にされた怒りから、殺人を犯してしまった犯人の不幸な境遇に、御手洗潔は徹底的に寄り添っています。」

「あの話は読んでいて涙が出てきました。犯人の人格を尊重して、彼の自由意志で犯行を告白できるようにしてますね。誘導尋問で嵌めるのではなくて。」

「うまく誘導して、部下や患者に言うことを聞かせるほうが仕事も楽。そういう関わり方をする医師や看護師もいます。そこまでではなくても、自分は人との関わりにおいて、相手の人格を軽んじるような真似をしていないか、絶えず考えたいです。」


遠藤凪はわずかに考えるそぶりをして、視線を落として返した。

「でも先生。マイケル・ジャクソンの裁判の例みたいに、優しくすべきでない人もいますよ。西寺郷太さんが著書で書いていたこと、私はずっと心に残っているんです。マイケルは優しくすべきでない人にまで優しすぎた、って。先生の好きなプリンスもワム!のジョージ・マイケルも皆、虐げられる人のことを考えすぎて、自分自身を苦しめ亡くなった『幸福な王子』たちだと思います。決して幸福ではない少年期や私生活があって、子どもたちやマイノリティーへの慈善活動を行って、そのことが死後に明らかになったりする点で、3人のスーパー・スターたちは共通しています。彼らは圧倒的な才能があって、歌も踊りも作曲もプロデュースも1人でできるから、あまり人に頼らなかった。マドンナみたいに、多少ずるくても、独力ではなく人と協力して、より優れた成果を積んでいくほうがよかったのかもしれません。」

「そうですね。4人のスーパー・スターの中で、マドンナが総合的な才能はたぶん劣るけど、結果的に長生きしていますからね・・・。本人の意図とは違うでしょうが、Stop Making Sense,  意味づけをするな。つまり大義名分や、自分なりの正義を抱きすぎるのも問題になるのかもしれません。デヴィッド・バーンは正義について考えに考えた末に、そんなことはナンセンスだ!と言っているんでしょうし。
 素晴らしいことを書いている作家が、しばしば、実生活では差別的な発言をしてしまったり、サローヤンみたいに子どもと不仲で悩んでいたりしますから。そして、ときに、その後悔が、素晴らしい作品に結実しているのかもしれませんが。」