お知らせ

北勢病院homeお知らせ 〉 フランシス・ベイコン・インタビュー(心理療法と物語7) - 副院長より26

  • 2024.01.16

フランシス・ベイコン・インタビュー(心理療法と物語7) - 副院長より26

明けましておめでとうございます。副院長の森豊和です。

今回は、イギリスを代表するロック・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイが最も影響を受けた100冊に選んだ「肉の慈悲」(フランシス・ベイコン・インタビュー)について、いつもの(疑似)対話形式で書きました。



なぎさ: 先生、診察室によく患者さんの絵を飾ってますね。それとは別に画集やデザインの本、画家に関する本がいっぱい。この段ボールはどうしたのですか?

ああ、なぎささん、通院されている方で、絵を描いている人が不要になった本を持ってきてくれたんです。作業療法室に置こうと思います。

なぎさ: 昨日の方ですね。すごい荷物でしたね。これはピカソ、エッシャーもある。ゴッホに、この本は・・・?



いや、その辺は僕の私物です。一緒に整理していて。フランシス・ベイコンという画家のインタビュー集です。かつて「肉の慈悲」という題名だったのは絶版で高値なのですが、ちくま学芸文庫で復刊されて。それとこの、やはり絶版だったR.D.レインという精神科医の著書「引き裂かれた自己」「好き?好き?大好き?」も最近文庫化されていて買えました。

なぎさ: 「好き?好き?大好き?」はエヴァンゲリオンや恋愛シミュレーションゲームで引用されたり、戸川純の代表曲のタイトルでも有名だと聞きました。市川沙央さんがエヴァを引用したり、それこそ伊藤計劃さんが恋愛シミュレーションゲームから重要な台詞を拝借してるのは遊び心を感じました。

精神医学とサブカルチャーは親和性ありますね。ちなみに「引き裂かれた自己」と「肉の慈悲」はデヴィッド・ボウイの百冊にも選ばれていて。



なぎさ: ボウイって画家でもあったんですね。今、ネットで調べてみましたけど、デヴィッド・ボウイの絵もフランシス・ベイコンの絵も、見ていて、なんだか不安になってくるような。

実存的な不安ですね。帯文句にもなっていますが、このインタビュー集を要約する言葉の一つが、「芸術作品が残酷に見えるのは、現実が残酷だからです。P280 」

なぎさ: それは芸術作品にその画家の魂があるから? 切実な訴えや悲しい思いが伝わるからでしょうか・・・

ベイコンが見ている世界が残酷なんでしょうね。きっと。かいつまんで引用しますね。
 「言うまでもなく私たちは肉であり、いつかは死肉になります。肉屋に行くといつも驚くのは、そこに横たわっているのが、自分ではなく他の動物だということです。P66」
 「世間では死んだ人のことは忘れてしまうと言いますが、そんなことはありません。なにしろ私の人生はつきがなくて、本当に好きだった人みんなに先立たれてしまいましたが、いつも彼らのことを考えています。P106」
 「17歳の時、舗装道路に落ちている犬の糞を見て、自分はいつか死ぬ。生きているのはほんの一瞬で壁に止まっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうと感じたのです。生きていることに意味も目的もない。ただ、生きている間に何らかの力に駆られて、無意味な生に意味を与えるのです。P192」
こんなことを彼は語っていて。

なぎさ: なんだか矛盾してませんか?生きたくないけど生きる理由を探してるみたいです。車に弾かれた猫や鳥が道路で死んでいるのを見たときの気持ちに近いかも。

ええ。僕は最初、この本をゆらゆら帝国というロックバンドの坂本慎太郎(彼も美大卒)が紹介していて知りましたが、坂本慎太郎は、人類の文明がいつか滅んでも、レコードを残しておけば、いつかエイリアンが滅亡した地球に降りて、なんとか聴いてくれるんじゃないか。だって電気が無くても針があれば聴けるし。だからCDだけでなくレコードも作るんです、というようなことを語っていました。ちょっと似ていることをベイコンも言ってて。

「この世にいない人間の肖像画を描くなんて、ちょっとばかげていますね。そもそも彼らは、すでに焼かれてしまったか、腐っているのですよ。肉体は朽ち果ててしまうのですから、死んだ人間を思い出すことはできても見ることはできないのです。火葬には反対です。何千年か後にもまだ世界が存在しているとして、その時代の人が地面を掘って誰も出てこなかったらつまらないじゃないですか。P186」

なぎさ: 火葬は焼かれて骨の破片しか残らないですもんね。でも、坂本慎太郎は、自分の作品や生きた証は残すことができると信じてるんですね。

デビッド・ボウイ、坂本慎太郎、フランシス・ベイコン、彼らは人類が滅んだ何千万年後の未来に、今、すでに、たった1人で生きているのかもしれません。ところでベイコンは面白いことを言っていて、彼は絵を描いている最中に、思い立って、手づかみで絵の具をキャンバスに投げるとか。それで例えば、水しぶきとかを描くそうです。

なぎさ: その偶然と衝動で作品ができるんですね。そういえば葛飾北斎は鶏の足に絵の具つけて、紙の上を歩かせて、もみじの絵として発表したらしいです。

その方法も似てますね。直接の関係はないでしょうが、浮世絵に影響を受けたゴッホを、ベイコンは僕のヒーローだと言っています。以下です。

 「ゴッホはある手紙に、リアリティーを作り変える必要があると書いています。そうすれば偽りのない事実以上に嘘が真実味を帯びる、というのです。画家が自分でとらえようとしているリアリティーの強烈さを取り戻すにはそうするしかないんです。P240」
 「ゴッホは私にとって偉大なヒーローですが、それというのも、彼はほぼ写実的でありながら、独特の絵の具の塗り方で物事のリアリティーを見事に表現することができたからだと思います。(中略)草木も生えないクローの平原を驚くほど生き生きと描き、リアリティーを持たせることができたのです。P242」

なぎさ: ゴッホはリアリティを追い求めていたんですか?ゴッホの絵は、心の内側を描いたものだと思ってました。

ゴッホの内面を投影した絵は、事実とは異なるけど、より真実の姿になるということだと思います。例えば写真に写るような事実とは違うけど、描く題材の真実の姿を描きたいというのはあらゆる芸術家にとって永遠のテーマです。話はそれますけど、中国のSF小説「三体」第3部崩れていく、滅亡する宇宙の光景を、ゴッホが「星月夜」として幻視していたというくだりには圧倒されました。



ところで、以下の抜粋は、なぜ絵画療法を行うか教えてくれている気がするのです。

 「私の望みは対象を途方もなく歪めて描くことです。P58 モデルと似ていないにもかかわらず、奇跡的な力でモデルの本質を表現している絵を描くことです。P184」
 「芸術作品の存続に関してはパラドックスがあります。私たちの社会では芸術は儀式に用いられるわけでもなければ、教訓を与えるわけでもありません。作品を制作する動機は制作それ自体であり、制作の過程で問題を解決していく時に味わう興奮です。その問題は実際に何かを作ることによってのみ解決されるわけですから、最終的にはその活動の結果として作品が残ります。P128」
 「私は偶然を利用して、デフォルメし再構成した姿かたちを描く方法を見つけようとしています。(中略)かりにも絵がうまくいったとしたら、それはモデルとは異なる、誰も知らない姿かたちを描くことによって、ある種の神秘が生じたからです。たとえば、口が顔の端まで裂け、まるで顔全体に大きな穴が開いているように描いたのに、その穴はやはり口に見えるということがあります。P156」
 「 (偶然に湧いてきたイメージは必然性があり、純粋で、深層心理が表面化したものという話に続いて)深層が必然性を保ったまま表面化するということです。脳の働きに干渉されることなく、必然的なイメージがストレートに湧いてくるのです。いわゆる無意識下から、無意識の泡に包まれたまま、つまり新鮮さを保ったまま、まっすぐ出てくるという感じです。P173」

なぎさ: 難しいです。けど、一つだけ。ベイコンは死ぬことばかり考えているようだけど、本音は生きたいんですよね。口が裂けてるような絵、顔が崩れているような絵からは死を感じるけど、逆に生に固執しているようにも思います。

そうかもしれません。僕も一つだけ確かに言えるのは、フランシス・ベイコンも、デヴィッド・ボウイも、坂本慎太郎も、彼らの絵を愛してくれる人たちには、決して死んでほしくないはず、ということです。
明けましておめでとうございます。副院長の森豊和です。

今回は、イギリスを代表するロック・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイが最も影響を受けた100冊に選んだ「肉の慈悲」(フランシス・ベイコン・インタビュー)について、いつもの(疑似)対話形式で書きました。



なぎさ: 先生、診察室によく患者さんの絵を飾ってますね。それとは別に画集やデザインの本、画家に関する本がいっぱい。この段ボールはどうしたのですか?

ああ、なぎささん、通院されている方で、絵を描いている人が不要になった本を持ってきてくれたんです。作業療法室に置こうと思います。

なぎさ: 昨日の方ですね。すごい荷物でしたね。これはピカソ、エッシャーもある。ゴッホに、この本は・・・?



いや、その辺は僕の私物です。一緒に整理していて。フランシス・ベイコンという画家のインタビュー集です。かつて「肉の慈悲」という題名だったのは絶版で高値なのですが、ちくま学芸文庫で復刊されて。それとこの、やはり絶版だったR.D.レインという精神科医の著書「引き裂かれた自己」「好き?好き?大好き?」も最近文庫化されていて買えました。

なぎさ: 「好き?好き?大好き?」はエヴァンゲリオンや恋愛シミュレーションゲームで引用されたり、戸川純の代表曲のタイトルでも有名だと聞きました。市川沙央さんがエヴァを引用したり、それこそ伊藤計劃さんが恋愛シミュレーションゲームから重要な台詞を拝借してるのは遊び心を感じました。

精神医学とサブカルチャーは親和性ありますね。ちなみに「引き裂かれた自己」と「肉の慈悲」はデヴィッド・ボウイの百冊にも選ばれていて。



なぎさ: ボウイって画家でもあったんですね。今、ネットで調べてみましたけど、デヴィッド・ボウイの絵もフランシス・ベイコンの絵も、見ていて、なんだか不安になってくるような。

実存的な不安ですね。帯文句にもなっていますが、このインタビュー集を要約する言葉の一つが、「芸術作品が残酷に見えるのは、現実が残酷だからです。P280 」

なぎさ: それは芸術作品にその画家の魂があるから? 切実な訴えや悲しい思いが伝わるからでしょうか・・・

ベイコンが見ている世界が残酷なんでしょうね。きっと。かいつまんで引用しますね。
 「言うまでもなく私たちは肉であり、いつかは死肉になります。肉屋に行くといつも驚くのは、そこに横たわっているのが、自分ではなく他の動物だということです。P66」
 「世間では死んだ人のことは忘れてしまうと言いますが、そんなことはありません。なにしろ私の人生はつきがなくて、本当に好きだった人みんなに先立たれてしまいましたが、いつも彼らのことを考えています。P106」
 「17歳の時、舗装道路に落ちている犬の糞を見て、自分はいつか死ぬ。生きているのはほんの一瞬で壁に止まっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうと感じたのです。生きていることに意味も目的もない。ただ、生きている間に何らかの力に駆られて、無意味な生に意味を与えるのです。P192」
こんなことを彼は語っていて。

なぎさ: なんだか矛盾してませんか?生きたくないけど生きる理由を探してるみたいです。車に弾かれた猫や鳥が道路で死んでいるのを見たときの気持ちに近いかも。

ええ。僕は最初、この本をゆらゆら帝国というロックバンドの坂本慎太郎(彼も美大卒)が紹介していて知りましたが、坂本慎太郎は、人類の文明がいつか滅んでも、レコードを残しておけば、いつかエイリアンが滅亡した地球に降りて、なんとか聴いてくれるんじゃないか。だって電気が無くても針があれば聴けるし。だからCDだけでなくレコードも作るんです、というようなことを語っていました。ちょっと似ていることをベイコンも言ってて。

「この世にいない人間の肖像画を描くなんて、ちょっとばかげていますね。そもそも彼らは、すでに焼かれてしまったか、腐っているのですよ。肉体は朽ち果ててしまうのですから、死んだ人間を思い出すことはできても見ることはできないのです。火葬には反対です。何千年か後にもまだ世界が存在しているとして、その時代の人が地面を掘って誰も出てこなかったらつまらないじゃないですか。P186」

なぎさ: 火葬は焼かれて骨の破片しか残らないですもんね。でも、坂本慎太郎は、自分の作品や生きた証は残すことができると信じてるんですね。

デビッド・ボウイ、坂本慎太郎、フランシス・ベイコン、彼らは人類が滅んだ何千万年後の未来に、今、すでに、たった1人で生きているのかもしれません。ところでベイコンは面白いことを言っていて、彼は絵を描いている最中に、思い立って、手づかみで絵の具をキャンバスに投げるとか。それで例えば、水しぶきとかを描くそうです。

なぎさ: その偶然と衝動で作品ができるんですね。そういえば葛飾北斎は鶏の足に絵の具つけて、紙の上を歩かせて、もみじの絵として発表したらしいです。

その方法も似てますね。直接の関係はないでしょうが、浮世絵に影響を受けたゴッホを、ベイコンは僕のヒーローだと言っています。以下です。

 「ゴッホはある手紙に、リアリティーを作り変える必要があると書いています。そうすれば偽りのない事実以上に嘘が真実味を帯びる、というのです。画家が自分でとらえようとしているリアリティーの強烈さを取り戻すにはそうするしかないんです。P240」
 「ゴッホは私にとって偉大なヒーローですが、それというのも、彼はほぼ写実的でありながら、独特の絵の具の塗り方で物事のリアリティーを見事に表現することができたからだと思います。(中略)草木も生えないクローの平原を驚くほど生き生きと描き、リアリティーを持たせることができたのです。P242」

なぎさ: ゴッホはリアリティを追い求めていたんですか?ゴッホの絵は、心の内側を描いたものだと思ってました。

ゴッホの内面を投影した絵は、事実とは異なるけど、より真実の姿になるということだと思います。例えば写真に写るような事実とは違うけど、描く題材の真実の姿を描きたいというのはあらゆる芸術家にとって永遠のテーマです。話はそれますけど、中国のSF小説「三体」第3部崩れていく、滅亡する宇宙の光景を、ゴッホが「星月夜」として幻視していたというくだりには圧倒されました。



ところで、以下の抜粋は、なぜ絵画療法を行うか教えてくれている気がするのです。

 「私の望みは対象を途方もなく歪めて描くことです。P58 モデルと似ていないにもかかわらず、奇跡的な力でモデルの本質を表現している絵を描くことです。P184」
 「芸術作品の存続に関してはパラドックスがあります。私たちの社会では芸術は儀式に用いられるわけでもなければ、教訓を与えるわけでもありません。作品を制作する動機は制作それ自体であり、制作の過程で問題を解決していく時に味わう興奮です。その問題は実際に何かを作ることによってのみ解決されるわけですから、最終的にはその活動の結果として作品が残ります。P128」
 「私は偶然を利用して、デフォルメし再構成した姿かたちを描く方法を見つけようとしています。(中略)かりにも絵がうまくいったとしたら、それはモデルとは異なる、誰も知らない姿かたちを描くことによって、ある種の神秘が生じたからです。たとえば、口が顔の端まで裂け、まるで顔全体に大きな穴が開いているように描いたのに、その穴はやはり口に見えるということがあります。P156」
 「 (偶然に湧いてきたイメージは必然性があり、純粋で、深層心理が表面化したものという話に続いて)深層が必然性を保ったまま表面化するということです。脳の働きに干渉されることなく、必然的なイメージがストレートに湧いてくるのです。いわゆる無意識下から、無意識の泡に包まれたまま、つまり新鮮さを保ったまま、まっすぐ出てくるという感じです。P173」

なぎさ: 難しいです。けど、一つだけ。ベイコンは死ぬことばかり考えているようだけど、本音は生きたいんですよね。口が裂けてるような絵、顔が崩れているような絵からは死を感じるけど、逆に生に固執しているようにも思います。

そうかもしれません。僕も一つだけ確かに言えるのは、フランシス・ベイコンも、デヴィッド・ボウイも、坂本慎太郎も、彼らの絵を愛してくれる人たちには、決して死んでほしくないはず、ということです。