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  • 2023.06.28

ラーゲリより愛をこめて/戦場のメリークリスマス(心理療法と物語) - 副院長より15

こんにちは。副院長の森豊和です。

医療というと皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。投薬、採血、レントゲン、心電図、胃カメラやレントゲン、CT、MRI、内視鏡、大きな切開を伴う外科手術。もちろん精神科でも内科的な検査はしますし投薬もします。ですが心理療法や心理検査も同じくらい大切です。

病巣を最小限に切り取って短時間で終わらせるほうが良い外科手術であるように、心理療法も長くても見当違いではいけないし、もう少し時間が必要なのに「はい、がんばれよ」と短時間で打ち切ってもよろしくないです。

では、心理療法においては、どこに病巣があって、どれくらい時間をかける必要があるか、どうやって判断するのでしょうか。こころは画像検査で「ここからここまでが病巣です」と割り切れません。だから私たちはたくさんの知識や人生経験、様々な人と関わることが必要です。でも、だからといって全ての職種、全ての人種と出会うことはできないし、全ての経験をすることは不可能です。

だから、私たち精神科医は、医学書だけでなく、たくさん本を読みます。私は読むのも遅いし量も読めていないほうだと思いますが、それでも読まないよりはマシだし、若いころ読んだ本を読み返すと「こういうことだったのか」と驚くこともしばしばです。
なので、こうして記録をつけていこうと思います。もしご興味があればお付き合いください。今回は第2次世界大戦の収容所についてのノンフィクション(ないし限りなくノンフィクションに近いフィクション)について書きたいと思います。


収容所体験記といえばヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」が有名ですが、最近の話題として、二宮和也、北川景子主演、2022年公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」をご存じでしょうか。その原作であるノンフィクション「収容所から来た遺書」を最近読みました(この本自体は1989年に出版され当時TVドラマ化されています)。

シベリアの強制収容所(ラーゲリ)で死んだ日本兵、山本幡男、その4500字もの遺書を、何人もの仲間が分担して記憶して持ち帰るという方法で遺族に届けたという実話を基に、山本やその仲間が収容所内で読んだ俳句や詩、おこなった演劇なども含めて、物語として再現したという本でした。

そうやって再現された物語は非常に強い力と説得力を持ちます。シベリアの極寒の中での強制労働とわずかな食事。厳しい思想統制、そんな状況で生み出された芸術です。


村上春樹のエッセイ「若い読者のための短編小説案内」の中で紹介されていた長谷川四郎の短編「阿久正(あくただし)の話」やその前日譚であろう収容所体験談「シベリヤ物語」のことも思い出しました。戦争における過酷な暴力がいかに人間性を削り取り、損なわせるのか、その力に対して「物語」がどれだけ抵抗することができるのかについて書かれています。これは村上春樹の諸作品に通底するテーマでもあります。


後述する「影の獄にて」という小説で、イギリス兵が処刑されようとしている日本の軍曹に対して「負けるが勝ち」という話をする下りがありますが、まさしくそれと同じで、「収容所から来た遺書」の日本兵たちは、負けて勝ったのだと思います。

それはロシア兵に対して勝ったなどというスケールの小さい話ではなく、人間の尊厳を摩耗させる戦争という巨大な力に対して立ち向かい、勝利したという意味です。


その「影の獄にて」は、ジャワ島におけるイギリス兵の収容所体験を綴ったローレンス・ヴァン・デル・ポストの小説です。作者の実体験に基づいており(つまり限りなくノンフィクション)、人種の差を超えた深いところでの理解について書かれています。この小説は1983年の映画「戦場のメリークリスマス」の原作なのですが、読んでみると、映画のキャスト、デビッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしの配役が非常にピッタリに思えます。


余談ですが、ボウイが演じるセリエ少佐が収容所の中でもなお、自らと仲間達の尊厳を守るために戦うことを決意する際のセリフ。
「僕は星を出し抜くことはできやしない。あの星と同じで、夜の中に浸りきって、一つの影を引いていく」
なんて、作中のセリエ少佐の運命とデビッド・ボウイの音楽性が重なるようで感慨深いです。運命に抗うことはできないかもしれないけど、精一杯なすべきことをなすだけだ、という意味でしょうか。

ところで、この作品は絶版で入手しにくかったので桑名市図書館で借りました。さすが桑名市、借り手が少ないであろう過去の名著も処分せず所蔵し続けています。そんな古い本をなぜ読んだかというと、日本におけるユング派心理療法の草分けである河合隼雄先生が自伝的な読書録「深層意識への道」で紹介していたからです。


河合隼雄がスイスのユング研究所で教育分析を受けていた時、日本人の戦争犯罪について考え、悩み出したそうです。日本兵が捕虜を虐待したという史実は、日本民族が抱える無意識の「影」であり、巨大な原罪。その時に読めといわれたのがローレンス・ヴァン・デル・ポスト「影の獄にて」だった。日本兵による捕虜虐待の話で、人種の差を超えた深いところでの理解についての話です。


話は脱線しますが、寺尾紗穂さんの「南洋と私」 という本で、太平洋戦争中の、日本人の南洋諸島の人々に対する考え方を知り、彼女が影響を受けた中島敦の「南洋通信」も興味深く読みました(とても面白い近代の神話です)。当時の日本軍はアジアを解放し大東亜共栄圏を作るという思想を掲げていて、その是非はともかく、少なくとも下々の兵士は正しいと信じて間違った行為を行うこともあったといいます。

 近年、村上春樹も、自分の父親が太平洋戦争にどこまで関わったのかを調べた内容が中心のエッセイ「猫を棄てる - 父親について語るとき」を上梓していますが、氏のなかにはずっと、自分の父親の世代が犯した戦争犯罪への思いがあるはずです。


 「影の獄にて」の内容について、上記のことや、河合隼雄の見解(「深層意識への道」7章88ページから記載)などを交えて説明させてください。

 ローレンス・ヴァン・デル・ポストが南洋戦線で日本軍の捕虜になったとき、ハラ軍曹(ビートたけしが演じます)という、捕虜を虐めて、時に殺してしまうようなとんでもない男が収容所の実権を握っていました。彼にしてみれば「捕虜になるのは恥。なった時点で死ぬべき。死ねないカスどもの精神を鍛えなおすために必要」な正しいことだから、めちゃめちゃに捕虜を虐めるわけです。

捕虜たちは当然「ハラはひどい悪い奴だ」と思うんですが、ローレンスだけは違って、「ハラは生きた神話なんだ。太陽神アマテラスをうちに宿し、昔の伝説や神話をすべて本気で信じているからこそ、ためらいなく人を殺せる」と考えます。要するにハラは天災のようなものだと。

 ローレンスはそういった通常の思考をはるかに超えたところでハラを認めているから、ハラもなんとなく彼を好きになります。そしてハラは酔っぱらうとローレンスを呼びつけて「お前は他のイギリス人よりみどころがある。でも残念なのはお前が死んでいないことだ。お前が死んだら俺はお前をもっと尊敬するんだがなあ」なんて言い出す始末(実際、ローレンスはユングと対等の友人であったという稀有なエピソードの持ち主)。

 そして、ある時、ローレンスが死刑にされそうなときに、それはクリスマスの前だったんですが、ハラは突然「私は今日はサンタだ。お前を助けてやる」なんて言います。そしてハラが彼に呼びかけた唯一の英語が、坂本龍一が書いたテーマ曲のタイトル、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」だった。日本人のハラと、イギリス人のローレンスとの間に深い理解が生まれた瞬間です。

話はまだ続きがあって、終戦を迎え、今度はハラ軍曹が捕まって軍法会議にかけられて死刑になる。ローレンスはハラに会いに行きます。ハラは「戦争に負けたのだから死ぬのは怖くない。しかし自分の信じる正しいことをしただけなのになぜ罪に問われるのか、そこは納得いかない」と言います。

ローレンスだって勝者が敗者を裁くのは無意味だと思っています。「答になるかわからないが」と前置きして、自分が日本の捕虜だった時に、絶望する部下を励まして言った言葉を伝えました。
「負けて勝つという道もある。我々はもう二度と戦争が起こらないために犠牲になるのかもしれない」
するとハラは「それは日本人の考え方でもある!」と目を輝かせて言います。
「これから行くところでも、あなたに“めりーくりすます”と言った時のことをずっと思い出していていいですか」
ハラが行くのは仏教や神道における冥土でしょうが、そこへ彼はクリスマスを祝いながら旅立つというのです。

日本人がイギリスの文化を理解し、イギリス人が日本文化を理解する。ヨーロッパとアジアの神話がこころの深い部分で合わさった瞬間でしょう。誤解を恐れずに言えば、これは世界で最もロマンチックな物語の一つだと思いました。ハラは無茶苦茶なことを物凄く真剣に言っている。だからローレンスも本当に腹の底から出た言葉を伝えたのです。

蛇足を承知で補足するなら、女性の支持を集めるシンガー・ソングライター、カネコアヤノさんが「もう他の映画は観なくてもいいとさえ思った」と語った韓国映画「オアシス」の感動が、あえていえば近いかもしれません。


人間が無意識もからんで体験したようなことはうまく言葉にできません。それを伝えようとすると物語になると河合隼雄はいいます。上に挙げたような極限状況に対処するためには、だから、私たちはものすごくたくさんの物語を知っていなければいけません。私自身はまだまだ足りないと思っています。

今回は長くなりましたが、もう少し手軽な量で、さまざまな物語について記していきたいと思います。面白い話ではない、ときにはつらい話かもしれません。それでも読んでいただける人が一人でもいらっしゃったらうれしいです。
こんにちは。副院長の森豊和です。

医療というと皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。投薬、採血、レントゲン、心電図、胃カメラやレントゲン、CT、MRI、内視鏡、大きな切開を伴う外科手術。もちろん精神科でも内科的な検査はしますし投薬もします。ですが心理療法や心理検査も同じくらい大切です。

病巣を最小限に切り取って短時間で終わらせるほうが良い外科手術であるように、心理療法も長くても見当違いではいけないし、もう少し時間が必要なのに「はい、がんばれよ」と短時間で打ち切ってもよろしくないです。

では、心理療法においては、どこに病巣があって、どれくらい時間をかける必要があるか、どうやって判断するのでしょうか。こころは画像検査で「ここからここまでが病巣です」と割り切れません。だから私たちはたくさんの知識や人生経験、様々な人と関わることが必要です。でも、だからといって全ての職種、全ての人種と出会うことはできないし、全ての経験をすることは不可能です。

だから、私たち精神科医は、医学書だけでなく、たくさん本を読みます。私は読むのも遅いし量も読めていないほうだと思いますが、それでも読まないよりはマシだし、若いころ読んだ本を読み返すと「こういうことだったのか」と驚くこともしばしばです。
なので、こうして記録をつけていこうと思います。もしご興味があればお付き合いください。今回は第2次世界大戦の収容所についてのノンフィクション(ないし限りなくノンフィクションに近いフィクション)について書きたいと思います。


収容所体験記といえばヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」が有名ですが、最近の話題として、二宮和也、北川景子主演、2022年公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」をご存じでしょうか。その原作であるノンフィクション「収容所から来た遺書」を最近読みました(この本自体は1989年に出版され当時TVドラマ化されています)。

シベリアの強制収容所(ラーゲリ)で死んだ日本兵、山本幡男、その4500字もの遺書を、何人もの仲間が分担して記憶して持ち帰るという方法で遺族に届けたという実話を基に、山本やその仲間が収容所内で読んだ俳句や詩、おこなった演劇なども含めて、物語として再現したという本でした。

そうやって再現された物語は非常に強い力と説得力を持ちます。シベリアの極寒の中での強制労働とわずかな食事。厳しい思想統制、そんな状況で生み出された芸術です。


村上春樹のエッセイ「若い読者のための短編小説案内」の中で紹介されていた長谷川四郎の短編「阿久正(あくただし)の話」やその前日譚であろう収容所体験談「シベリヤ物語」のことも思い出しました。戦争における過酷な暴力がいかに人間性を削り取り、損なわせるのか、その力に対して「物語」がどれだけ抵抗することができるのかについて書かれています。これは村上春樹の諸作品に通底するテーマでもあります。


後述する「影の獄にて」という小説で、イギリス兵が処刑されようとしている日本の軍曹に対して「負けるが勝ち」という話をする下りがありますが、まさしくそれと同じで、「収容所から来た遺書」の日本兵たちは、負けて勝ったのだと思います。

それはロシア兵に対して勝ったなどというスケールの小さい話ではなく、人間の尊厳を摩耗させる戦争という巨大な力に対して立ち向かい、勝利したという意味です。


その「影の獄にて」は、ジャワ島におけるイギリス兵の収容所体験を綴ったローレンス・ヴァン・デル・ポストの小説です。作者の実体験に基づいており(つまり限りなくノンフィクション)、人種の差を超えた深いところでの理解について書かれています。この小説は1983年の映画「戦場のメリークリスマス」の原作なのですが、読んでみると、映画のキャスト、デビッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしの配役が非常にピッタリに思えます。


余談ですが、ボウイが演じるセリエ少佐が収容所の中でもなお、自らと仲間達の尊厳を守るために戦うことを決意する際のセリフ。
「僕は星を出し抜くことはできやしない。あの星と同じで、夜の中に浸りきって、一つの影を引いていく」
なんて、作中のセリエ少佐の運命とデビッド・ボウイの音楽性が重なるようで感慨深いです。運命に抗うことはできないかもしれないけど、精一杯なすべきことをなすだけだ、という意味でしょうか。

ところで、この作品は絶版で入手しにくかったので桑名市図書館で借りました。さすが桑名市、借り手が少ないであろう過去の名著も処分せず所蔵し続けています。そんな古い本をなぜ読んだかというと、日本におけるユング派心理療法の草分けである河合隼雄先生が自伝的な読書録「深層意識への道」で紹介していたからです。


河合隼雄がスイスのユング研究所で教育分析を受けていた時、日本人の戦争犯罪について考え、悩み出したそうです。日本兵が捕虜を虐待したという史実は、日本民族が抱える無意識の「影」であり、巨大な原罪。その時に読めといわれたのがローレンス・ヴァン・デル・ポスト「影の獄にて」だった。日本兵による捕虜虐待の話で、人種の差を超えた深いところでの理解についての話です。


話は脱線しますが、寺尾紗穂さんの「南洋と私」 という本で、太平洋戦争中の、日本人の南洋諸島の人々に対する考え方を知り、彼女が影響を受けた中島敦の「南洋通信」も興味深く読みました(とても面白い近代の神話です)。当時の日本軍はアジアを解放し大東亜共栄圏を作るという思想を掲げていて、その是非はともかく、少なくとも下々の兵士は正しいと信じて間違った行為を行うこともあったといいます。

 近年、村上春樹も、自分の父親が太平洋戦争にどこまで関わったのかを調べた内容が中心のエッセイ「猫を棄てる - 父親について語るとき」を上梓していますが、氏のなかにはずっと、自分の父親の世代が犯した戦争犯罪への思いがあるはずです。


 「影の獄にて」の内容について、上記のことや、河合隼雄の見解(「深層意識への道」7章88ページから記載)などを交えて説明させてください。

 ローレンス・ヴァン・デル・ポストが南洋戦線で日本軍の捕虜になったとき、ハラ軍曹(ビートたけしが演じます)という、捕虜を虐めて、時に殺してしまうようなとんでもない男が収容所の実権を握っていました。彼にしてみれば「捕虜になるのは恥。なった時点で死ぬべき。死ねないカスどもの精神を鍛えなおすために必要」な正しいことだから、めちゃめちゃに捕虜を虐めるわけです。

捕虜たちは当然「ハラはひどい悪い奴だ」と思うんですが、ローレンスだけは違って、「ハラは生きた神話なんだ。太陽神アマテラスをうちに宿し、昔の伝説や神話をすべて本気で信じているからこそ、ためらいなく人を殺せる」と考えます。要するにハラは天災のようなものだと。

 ローレンスはそういった通常の思考をはるかに超えたところでハラを認めているから、ハラもなんとなく彼を好きになります。そしてハラは酔っぱらうとローレンスを呼びつけて「お前は他のイギリス人よりみどころがある。でも残念なのはお前が死んでいないことだ。お前が死んだら俺はお前をもっと尊敬するんだがなあ」なんて言い出す始末(実際、ローレンスはユングと対等の友人であったという稀有なエピソードの持ち主)。

 そして、ある時、ローレンスが死刑にされそうなときに、それはクリスマスの前だったんですが、ハラは突然「私は今日はサンタだ。お前を助けてやる」なんて言います。そしてハラが彼に呼びかけた唯一の英語が、坂本龍一が書いたテーマ曲のタイトル、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」だった。日本人のハラと、イギリス人のローレンスとの間に深い理解が生まれた瞬間です。

話はまだ続きがあって、終戦を迎え、今度はハラ軍曹が捕まって軍法会議にかけられて死刑になる。ローレンスはハラに会いに行きます。ハラは「戦争に負けたのだから死ぬのは怖くない。しかし自分の信じる正しいことをしただけなのになぜ罪に問われるのか、そこは納得いかない」と言います。

ローレンスだって勝者が敗者を裁くのは無意味だと思っています。「答になるかわからないが」と前置きして、自分が日本の捕虜だった時に、絶望する部下を励まして言った言葉を伝えました。
「負けて勝つという道もある。我々はもう二度と戦争が起こらないために犠牲になるのかもしれない」
するとハラは「それは日本人の考え方でもある!」と目を輝かせて言います。
「これから行くところでも、あなたに“めりーくりすます”と言った時のことをずっと思い出していていいですか」
ハラが行くのは仏教や神道における冥土でしょうが、そこへ彼はクリスマスを祝いながら旅立つというのです。

日本人がイギリスの文化を理解し、イギリス人が日本文化を理解する。ヨーロッパとアジアの神話がこころの深い部分で合わさった瞬間でしょう。誤解を恐れずに言えば、これは世界で最もロマンチックな物語の一つだと思いました。ハラは無茶苦茶なことを物凄く真剣に言っている。だからローレンスも本当に腹の底から出た言葉を伝えたのです。

蛇足を承知で補足するなら、女性の支持を集めるシンガー・ソングライター、カネコアヤノさんが「もう他の映画は観なくてもいいとさえ思った」と語った韓国映画「オアシス」の感動が、あえていえば近いかもしれません。


人間が無意識もからんで体験したようなことはうまく言葉にできません。それを伝えようとすると物語になると河合隼雄はいいます。上に挙げたような極限状況に対処するためには、だから、私たちはものすごくたくさんの物語を知っていなければいけません。私自身はまだまだ足りないと思っています。

今回は長くなりましたが、もう少し手軽な量で、さまざまな物語について記していきたいと思います。面白い話ではない、ときにはつらい話かもしれません。それでも読んでいただける人が一人でもいらっしゃったらうれしいです。